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ヨガと仏教 2
前回の続き。。

百八礼【ひゃくはちらい】、これがキツかった。
煩悩を打ち砕く為に108回、立つ座るを高速で繰り返していく。
人間は生きているだけで、業がつく、それを浄化する為の作業のようだ。

真言を唱えながらなので、息が上がってきてキツい。。
頭がぼーっとしてきて、何を唱えているかすらも分からない状態。
下半身の疲労は半端なく、怠い、痛いを越え、何も感じなくなってしまった。
普段の無駄な身体の使い方を再確認することとなったのだ…やっぱり太腿なのねぇ。
左脚に関しては、太腿が使えないのでどう歩いていいか分からない始末。。ひどかった。

百八礼は、ヨガの中にもみられるスタイル。
確かハタヨガの中にあったなぁ、でもゆっくりだったし回数も少なかった。
同じ密教(タントラ)というベースはここで繋がっているように感じる。
そもそもヨガは、お坊さんがやるものだったし当たり前といえばそうだが。。

もう一つ繋がりをみたのは、阿息観【あそくかん】という行法。
「アー」と唱えながら胡座を組んで瞑想する。
これは、大日如来を言葉にしたもの、大日如来は宇宙そのものを表す。
これを唱えながら瞑想していく。
ヨガでもウパニシャッドという思想の中に「オーム」という言葉で同じものがある。
これはブラフマン(インド哲学における宇宙の根本原理)を言葉にしたもの、
これも宇宙そのものを表す。同じだ。。

そんなこんなで驚いていた。。

日本で見つけたヨガのエッセンスは、
ヨガでいう、ヤマ(してはいけないこと)ニヤマ(やるべきこと)の部分が、
全面にでているように感じた。その為、戒律や作法が沢山ある。
そして、全てに早さが求められているようにも感じた。食べることも修行法も。

ヨガでは、この部分がわりと緩いように感じる。
戒律に関しては、ヨガ・スートラでは重視されていたが、
時代が進みハタヨガの時代に入ってくると少しずつ重視されなくなったと授業でも習ったし。
自分のペースで動くことが基本だ。

ルーツは同じでも受け継がれてきた国、民族間で、時間の流れの中で、形が変化していることを感じる。
日本ではヨガという言葉ではない形で、ヨガのエッセンスが存在しているのが今回大きな発見だった。
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ヨガのこと | Comment : 0
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